「経済学入門・番外編」『法政大学経済学部へようこそ!』96年5月発行


経済学入門・番外編


山本 真鳥




 下の図は朝日新聞96年4月12日の朝刊に掲載された政治マンガです。住専問題で国会が難航してようやく予算審議が終わったところを皮肉っています。石器時代にはもちろんわれわれが使っているようなお金が存在したわけはありませんが、ともすれば、われわれの時代になぞらえて、こんな風に石器時代のお金を表現することはしばしばあります。こんなお金があったらどんなでしょう。大きすぎてサイフには入らないし、買い物にいくのも不便そのものですよね。だからマンガの題材にもなろうというものかもしれません。


 だけど、そのマンガそっくりの「石のお金」が実際に存在しているといったら、うっそーっていわれてしまうかしら。グァムの西南西の方角で飛行機で2時間位だったかな。ヤップ諸島というところにはそれがあるんです。大きいのは直径2メートル以上、小さいのは50センチ位の円盤状。真ん中に必ず穴があいていて、5円玉を大きくしたみたいです。このマンガのお金そっくりですが、真ん中に丸太を通して運ぶためなんですね。普通のサイズではこのマンガほど大きくはないものの、もちろんお財布に入るサイズではありません。

 このお金(石貨)を渡す時には、丸太で運ぶわけだけれど、大きなものになると置かれている場所にあげる人ともらう人がでかけて行って、これを貴方にあげますって宣言して終わりになるそうです。島の誰もがどの石貨がどこにあるかを知っているから、盗もうと思っても不可能なんです。ここには、ストーン・マネー・バンクという半ば観光地化した公園のようなところがあって、石貨が並べてあるけれど、現地の人にとっては、所有者は皆明確になっているんです。

ストーンマネー・バンク

 ところで、この石のお金、われわれが普通使うお金のように、何でも欲しいものを手に入れるために支払いをする、というものとはちょっと違う。使う場面が決まっています。まず、これは結婚の時に、花嫁の親族から花婿の親族に贈られるものです。結婚に際して、結婚申し込みから始まって初子の誕生や名付けに至る色々な儀式があるけれど、花婿方からは貝貨(白蝶貝や黒蝶貝を加工したもの)と椰子の実と魚、花嫁方からは石貨の他にタロイモとサトイモを互いに贈り合うことになっている。また、その他に、村同士の紛争解決のため、規則違反の贖罪のため、戦争や殺人、調停依頼等々、また埋葬に際しての呪術師、カヌー・家屋を建造する大工等に対しての支払いに用いられます。つまり、これで簡単に、タロイモや魚、欲しい腰布を買うというわけにはいかないんです。

 経済学では、お金は、何かと交換する媒体となるものであり、何か欲しいものがあるときに支払いをすることができ、そのように便利なものであるがゆえに将来欲しいものと交換する可能性をもつものとして貯めておくことができるものであると説明しています。

 またさらにお金は、われわれの社会では、交換できるお金の単位によってものの価値を一元的に測るものさしとなるという重要な役割を担っています。お金を媒介として、ものの価値が決まってくる。セーターは1万円で、パン1斤は200円である、というように。そうして互いの価値を比較できるわけです。

 そのような意味で、特定の場面でしか使用できず、何とでも交換できるわけではないヤップの石貨は本当にお金なのか、という疑問が涌きます。しかし人類学の対象となるような社会で、交換を媒介するものとして世の中を人から人へと渡されていくものの存在は様々に確認されています。例えば私の研究するサモアでは、同様に目のつんだゴザがその役割を果たしているし、メラネシアでは貝殻が使われています。このようなものを、人類学者はわれわれのお金である一般目的貨幣に対して、限定目的貨幣と呼んだり、交換財と呼んだりしています。

 われわれの社会のお金は、紙幣の他には、金属が用いられていますが、これは金属でできた硬貨の方が古い形です。金属の中でも貴重な金属を使用した金貨や銀貨は価値が高い。貨幣経済の初期には金や銀の粒が交換の媒体として用いられたこともありますが、これらは政府等による交換の媒体としての裏付けがなくとも、それ自体価値をもつものなのですね。金属がお金に用いられる理由を希少性に加えて、自由な大きさに加工でき、腐敗や磨滅しにくい材質であることが指摘されています。

20年前の著者と石貨

 ヤップの石貨は、稀少性という意味では実に興味深い。これはそんじょそこらの石で作ってもだめなんです。ヤップの南西にパラオ諸島というところがありますが、ヤップの男性たちはイカダを組んでパラオの北端の無人島にいって、そこの石を切り出して石貨に加工し持ち帰る。行きのイカダは軽いから楽だけど、帰りは命がけです。そんな命がけの冒険によって社会内に持ち込まれた数少ない石貨しか、石貨として認定されない。

 これには面白い話があります。オキーフというアイルランド系アメリカ人がヤップの話を聞き付けて、香港のある場所で石のお金を作らせ、ヤップに来てこれと交換でコプラ(ココヤシの果肉を干したもので、当時の石鹸の材料)を手にいれようとしたけれど、島の人々は見向きもしなかった。けれどもこの人のえらいところは、失敗の原因を調べたところです。人類学者のようにヤップで調査して「文化の秘密」を探りあてた。

 この後オキーフは、ヤップ人を帆船に乗せてパラオの石切場にやってきて石貨を作りました。今度は見事成功してオキーフは大儲けしたというお話。しかし、それまで流通していた石貨は一つ一つに伝えられる歴史的な語りがあるのだけど、オキーフのもってきた石貨は、やたら大きかったりするかわりにそうした歴史性が欠けているために、今ひとつ格が低いんだそうです。オキーフの冒険物語は19世紀のことでしたが、ヤップ諸島がミクロネシア連邦の一部として独立し、近代化された今日でも、石貨は使われております。(終)